4月9日、麻生太郎財務相は会見で、1万円、5千円、千円の紙幣を刷新することを発表されました!
でも渋沢栄一とは誰??と思った方が多いと思います。
渋沢栄一の歴史や、新札のデザインなどをまとめたのでご説明していきます!
一万円札が渋沢栄一になるのはいつから?
時期は2024年度上期から、発行されるとのことです。
紙幣が変わるのはなんと2004年以来であり、20年ぶりになります!
あと5年ですね(°_°)
元号も令和にかわり、いろいろと時代は変わっていきます。
新一万円札のデザインはどうなる?
新札のデザインのイメージはこのようになるそうです。
新一万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に変更されます。
画像出典:exite.ニュース
裏面は、東京駅丸の内駅舎がデザインされています。
五千円札のデザイン
五千円札は、津田梅子です。
画像出典:exite.ニュース
五千円札の裏面は藤の花がデザインされています。
千円札のデザイン
千円札は北里柴三郎です。
画像出典:exite.ニュース
千円札の裏面は、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」がデザインされています。
(葛飾北斎って高校生ぶりに聞きました。笑)
五百円硬貨のデザイン
画像出典:exite.ニュース
まさかの五百円硬貨まで素材が変わるとのこと。(なんのために?と思いましたが。笑)
五百円硬貨は2021年度上期から発行されます!
渋沢栄一ってどんな人?なにをした人?
- 出身地: 武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市血洗島)
- 生年月日: 1840年3月16日
- 死亡年月日: 1931年11月11日(享年 92歳)
- 幕臣・明治政府の官僚を経て実業家に転身。生涯で500余りの会社を設立した。
結構長生きされていますね!
生涯で500余りの会社を設立とはなかなかの超人です。
「日本資本主義の父」と言われているだけあります!
渋沢栄一の歴史
西暦(年齢)
1840年(1歳)武蔵国の豪農の長男として生まれる(幼名、栄二郎)。
1863年(24歳)倒幕計画を中止し、京都へ。
1864年(25歳)一橋慶喜に仕える。
1867年(28歳)パリ万博使節団としてフランスへ渡る。
1868年(29歳)帰国する。
1869年(30歳)静岡に商法会所を設立する。明治新政府に仕える。
1873年(34歳)大蔵省を辞め実業界へ。第一国立銀行を開業する。
1875年(36歳)第一国立銀行の頭取となる。商法講習所を創立する。
1876年(37歳)東京府養育院事務長となる。
1885年(46歳)東京養育院院長となる。
1901年(62歳)日本女子大学校を開校する。
1916年(77歳)実業界を引退する。
1931年(92歳)永眠。
簡単に説明すると、渋沢栄一は実業家なんですね!
渋沢栄一が関わっていた会社
- 第一国立銀行(現在のみずほ銀行)
- 抄紙会社(現在の王子製紙)
- 大阪紡績(現在の東洋紡績)
- 東京瓦斯(現在の東京ガス)
- 東京海上保険会社(現在の東京海上日動)
これらの会社の設立にも関わっているという渋沢栄一!
有名な会社ばかりですね。
ちなみにbankを、銀行と訳したのは渋沢栄一とのこと!
知名度は低めの渋沢栄一ですが、こうして見ると一万円札にふさわしい偉人ですね。
なんと1926、27年にはノーベル平和賞も受賞しています!
実業界だけでなく、教育や社会事業にも貢献していたそうです。
渋沢栄一まとめ
まとめると、渋沢栄一とは、500あまりの会社を設立した実業家です。
そして実業だけでなく教育や社会事業にも貢献した、アグレッシブな人物だということがわかりました。
新一万円札にふさわしい、資本主義の偉人ということですね!
5年後にはもう一万円札のことを、「諭吉が~〜」と言えなくなるので違和感がありますが、元号も令和にかわり、新時代への幕開けのような気もします。
こう考えると少し楽しみでもありますね!
最後までお読みいただきありがとうございました!